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お天王さんとは

津島神社奉安式

お天王さんとは?

 お天王さんで、親しまれてきた津島神社は、西日本海の津島から尾張の津島の地にお出ましになられたと伝えられている。尾張の津島あたりは、昔は海に浮かぶ島であり、室町時代には港町として発展していた。
 津島神社の御祭神は建速須佐之男命(たてはやすさのおのみこと)であり、日本古来の神話に出てくる素戔鳴尊(すさのおのみこと)であるが平安時代以降仏教の聖地を疫病から守る神様=牛頭天王(ごずてんのう)、と結びつけられ、津島神社は牛頭天王社、お天王さんと呼ばれるようになった。
津島のお天王さんは、京都の八坂神社「祇園(ぎおん)社」とともに二大天王社となり、「西の祇園、東の津島」として全国よりの信仰を集めた。
 当地における津島神社との結びつきは、室町時代以降津島御師(おし)と呼ばれる社家(しゃけ)の人たちが全国的に布教に歩いたことから始まった。御師の布教により各地で講(こう)が結成され、尾張地方で50以上、三河地方で30以上の各村々に分社が祀(まつ)られるようになった。
 江戸時代には明知村でも講が結成され、代参人(だいさんじん)が毎年津島神社に参拝してお札(ふだ)を受け、そのお札を「おたちん宮(ぐ)さん」と称して、麦わらで作った1尺ほど(約30・)の切妻平入(きりづまひらい)り造りの小社殿に奉安し、75日間災厄疫病除(さいきやくびょうよ)け、授福(じゅふく)の祈祷所として祀ってきた。
 明治時代の後期ごろから昭和時代の中期ごろまで、青年会の存続していた時代は、青年会の人たちによる祭祀(さいし)の奉仕がなされていたが、近年では見世棚(みせだな)造りの小社殿にお札を納め、氏子総代による祭祀が続けられてきた。 「おたちん宮さん」奉祀の期間中に天王祭りが執り行われる。昔は、旧暦の6月14日が例祭日であったが、近年は7月第2日曜日の夕方に執り行われている。夏の流行病を退散させてくれる牛頭天王に祈りをこめ、区民の無病息災(むびょうそくさい)を願って、青年会が笛太鼓のお囃子(はやし)を鳴らしながら、大竹にたくさんの提灯(ちょうちん)を灯(とも)して行列を組み、村の氏神=八柱社(やはしらしゃ)の森へと進む。それぞれの家でも子どもを中心にして笹竹に提灯を灯してにぎやかにあでやかに青年会の後を続いて歩く。天王祭りは、明知上の夏の夜の風物詩でもある。近年は、八柱社氏子会を中心にしてジュニアクラブも参加して行われている。
 明知上では、氏子会が区民から浄財を集め、平成16年3月に清水池畔に津島神社社殿を建立し、弁財天(べんざいてん)と並立の型式にて鎮座されている。(文責 深谷喜代澄)
※参考文献 平成16年9月明知上氏子会発行「弁財天・津島神社・由緒」その他

 
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